価値創造の源泉 日本曹達のDNA

創立時から変わらない
日本曹達の「よい仕事をよい人がやる」DNA

日本曹達の価値創造の源泉、それは、今も昔も「よい仕事をよい人がやる」というDNAにあります。創立時から変わることのないこの思いは今も受け継がれ、社員一人ひとりに脈々と息づいています。多様な変化の時代にあり、次々に新たな課題が押し寄せる今日でも、お客様のためにひたむきに向き合うこのDNAがあるからこそ、市場のニーズを汲み取り、それに応える「研究開発力」と「生産技術力」につながっているのです。

社章の由来

日本曹達の社章は、雪の結晶を模した六角形でうさぎを囲んだ「雪うさぎ」です。これは、創立間もない1920年の冬、新潟県の二本木工場で製品容器に描くマークについて会議を行っていたところ、突然、真っ白い野うさぎが飛び込んできて室内を一周した後、外へ消えていったというエピソードに基づいています。

当時の主力製品は、白いほど純度が高い「カセイソーダ」と「さらし粉」であり、真っ白いうさぎは製品の品質の高さを表すものでした。また、山を駆け上がることに長け、下ることを苦手とするうさぎは、“高品質な化学製品で不況に動じない成長企業へ”と願っていた当時の日本曹達を見事に象徴するものでした。六角形の角は、「誠実・勤勉・創意工夫・協調・奉仕・感謝」を示していると伝えられています。

日本有数の豪雪地である新潟県・二本木での逸話にふさわしく、また、事実と偶然と発想がリンクする化学の世界らしいエピソードが秘められています。

創立時の時代背景

好条件ではなかった創立時代、
「よい仕事をよい人がやる」の精神により克服

1920年の創立時は第一次世界大戦後の大不況期であり、前途は多難が予想される時代でした。その一方で、日本の工業が発展に向かっていた時代でもあり、改良や革新、研究開発に対するたゆまぬ努力が今日の日本曹達グループの発展につながっています。それを支えたのはまさに「人」であり、「よい仕事をよい人がやる」という精神は、今も息づいています。

創立者・中野友禮の言葉より

二本木は交通地勢から見て、或いは需給関係から見ても、決して工業地として有利な土地ではない。まして1年の3分の1は屋根を埋める大雪に悩まされる。創立後間もなく大戦後の大不況期に見舞われた。背景となる財閥は何もなかった。我社の創業時代は非常に不利な時代にあったのである。唯一恵まれたものがある。それは人的要素であった。従業員は一致団結して精励努力した。専務であった私も、工場長も汚いボロ服で機械の下にもぐり込んで、夜も昼もなく働いた。そして優秀な製品を造り上げてどんどん市場へ出した。仕事が日本の最も要求する化学工業であったこともよかった。又、事業に対する精神、経営に対する方針がよかったとも言えるであろう。

化学工業は常に学理の進歩に順応して、新しいものへ、より能率的な方法へと進まなければならぬ。我社は装置、操作の改良、革新、新製品の研究工業化を常に怠らなかった。或方面では、学理より先に事業が進んだ。経営が極端に苦しくなって会社が生死の瀬戸際にあった時でさえも、それを積極的に奨励した。よい仕事をよい人がやる。これが我社の最大の強みであった。それによって地利の不便も雪の被害も業界の不振も皆圧倒した。

現在に受け継がれるDNA

創立から現在まで、日本曹達の成長を支え、苦境からの再起を牽引したのは多数の優秀な技術者たちでした。戦時中には、軍の監理下に置かれ、さまざまな畑違いの開発要請に応えざるをえない時代も経験。ドイツの飛行船「ツェッペリン伯号」が日本に飛来した際に、枯渇してしまった補給用高純度水素の緊急供給を担ったという逸話が残っています。その当時、純度の高い水素を大量に供給できるのは日本曹達だけだったのです。

終戦後は、製品・事業分野が定まらず苦しい時期が続きましたが、新規事業への意欲は旺盛でした。1950年には日本最初の「石油化学事業計画書」を通商産業省(現 経済産業省)に提出。「時期尚早」との理由で銀行からの融資を得られず断念しましたが、石油化学工業の先導的・啓蒙的な役割を果たしたものとして高く評価されています。

日本が高度経済成長期を迎える中、当社は、多額の設備投資に伴う金利負担により、利益が確保できない状況が長く続きました。そうした状況下でも技術者たちは、農薬を含むファインケミカル、そしてウレタンを軸とする高分子分野に研究開発の焦点を絞り、量から質への指向転換を推進しました。これがのちに、多くの高付加価値製品群を生み出していきます。

苦しい中でも技術への投資を厭わず、技術陣たちは額に汗しながら新製品の開発、コスト競争力の強化、海外生産技術の確立、環境負荷の軽減に取り組んできました。「化学の力で社会に貢献」し、技術力と情熱で、「かがくで、かがやく。」未来を実現すること。これが日本曹達グループに受け継がれるDNAなのです。

デジタルトランスフォーメーション(DX)によるDNAの継承

培ってきた技術を「次世代へ」確実に伝承していきます。

少子高齢化の影響により、人手不足が社会課題となっていますが、当社でも若手を指導するベテラン社員と次の世代を担う新入社員の人数のバランスが偏り、技術の伝承が課題となっていました。現場の技術には、その場でしか伝えられない要素もあります。千葉工場では年に1回の定期修繕時に指導の場を設けていますが、それを欠席すると理解不足になったり、また教わった技術をいざ実践しようとし疑問が生じた場合、先輩に聞くことで解消はできているものの、非効率も生じていました。このような課題を解決するため、文字と写真の掲載のみであった紙の基準書に加え、動画により現場の状況を可視化した基準書を作成し、作業手順を映像でも伝えられるようにしました。現在すでに約70本の動画を制作しています。動画制作のきっかけは、社内業務用にスマートフォンが導入された際に、現場の担当者が業務改善のためにアイデアを出し合ったことによるものです。もともと工場ではDX化に積極的でしたが、今回のプロジェクトは20代を中心とした若手社員同士が連携し旗振り役となって推進しました。工場の各設備には二次元コードを貼り、スキャンすることで誰もが必要に応じて動画で手順やポイントを確認することができます。製造現場での労働者人口の減少が見込まれている中で、技術伝承を円滑に進めるためにはDX化の推進は急務です。本プロジェクトをきっかけに、現場主導で運用の拡充や改善に積極的に取り組み、さらなる好事例を全社に水平展開し、DX化の推進を加速していきます。